fc2ブログ

2024-05


 柔道・古流柔術・合気道の歴史・技術に関する話題

 空手・古流唐手の歴史・技術に関する話題

 ボクシングの歴史に関する話題

 レスリング系格闘技の歴史等に関する話題

 中国武術の歴史・技術に関する話題

 日本大相撲を中心に歴史・技術に関する話題

 剣術を中心に古流武術の歴史・技術に関する話題

 世界中の様々な格闘技の歴史・技術に関する話題


大相撲・弓取式 2

格闘技・武道・武術四方山話

大相撲・弓取式 2



 弓取を行なう力士は向正面に控えとして座り、結びの1番で東西勝った方角から土俵に上がり、弓を振り四股を踏みます。弓取を行なうのは原則として幕下力士で、幕下力士は十両との取組がある場合や、弓取式を行う際にのみ特別に大銀杏を結うことができ、化粧まわしを締めて土俵に上がることができます。基本的には横綱がいる部屋の力士によって行なわれ、横綱がいない場合は大関のいる部屋から選出されます。

 どういうわけか、弓取式を行った力士は、関取になれないというジンクスが相撲界にありました。しかし、1990年5月場所まで弓取を勤めていた九重部屋の巴富士が小結に昇進したことにより、こう言われる事が少なくなりました。 もし、弓取式で弓を落とした場合、負けとならないために手で拾わずに、足で拾います。また、弓が土俵の外にまで飛んでしまった場合は呼出が拾って手渡すことになっています。

 弓取式の歴史にも諸説あるようで、有名なものには織田信長が、元亀元年、安土の常楽寺で行った相撲会で、優勝した宮居眼左衛門に、褒美として信長秘蔵の「重藤の弓」を与え、これを貰った宮居が弓を取り舞ったことからはじまったとする説があります。いずれにしても、相撲が現代の格闘技と違う所は、弓取式のような形式を重んじる所ではないかと思います。試合開始もゴングなどのように、「よ~い、スタート!」で始まるのではなく、闘うもの同士の間合いで立ち会う所も相撲独自の形式美で素晴らしいと思います。もし、現代の格闘技・武道・武術の試合で、相撲のように闘うもの同士の心の高まりがピタリと合ったところで試合開始となったら、いつもの試合開始にはない緊張感がありそうでいいと思います。





[PR]
土俵の力士には土と藁の匂いが濃く染み込んでいる。相撲が好きで50年、本場所を見続けてきた著者が相撲への熱き思いを綴る。

大相撲に魅せられて



[PR] 激安!格闘技用品・ウエイトトレーニング器具の通販専門店 ドリームクラブ!47のカテゴリーと数百のアイテムを卸販売/激安・格安のディスカウントセールを毎日実施中!5つ以上商品を購入すると、送料が安くなることも。

[PR] 懸賞応募などで、どこよりもポイントが貯まる!ポイントの単位は『 段 』10段=1円の超換金率です!10000段(1000円相当)から換金できます!「ポイント道場」

☆ お小遣い稼ぎサイトを利用したネット内職の詳細解説はこちら ☆
スポンサーサイト



大相撲・弓取式

格闘技・武道・武術四方山話

大相撲・弓取式



 大相撲の本場所で結びの一番の勝者に代わって、作法を心得た力士が土俵上で弓を使って勝者の舞を演ずるのが弓取式です。全取組終了後打ち出し前に行なわれます。

 弓取式の始まりは、平安時代に遡り、相撲節会で左近衛府と右近衛府に分かれて相撲を取り、勝った方の立会役が矢を背負って、勝者の舞を演じたといわれています。今日の弓取式の原型ができたのは、寛政3年6月11日に、当時の横綱、2代目谷風梶之助が徳川家斉の上覧相撲で土俵上で弓を受け「敬い奉げて四方に振り回した」ことからだそうです。

 本来は三役揃い踏みに大関として登場した2人のうちの勝者が行なっていたそうですが、千秋楽に幕内での取組がなくなり幕下力士が行なうようになりました。明治以降、例外的に幕内力士が弓取を行なった記録も数例あるそうです。元々は千秋楽にのみ行なわれ、その場所の最後の勝者を称えるためのものだったそうです。そのため千秋楽結びの1番が引分や痛分の場合は中止されていたそうです。それが昭和27年五月場所から、毎日、全取組終了後打ち出し前に行なわれるようになったそうです。





[PR]
大相撲の華・土俵入り、弓取り式から土俵作法、大相撲歳時記、「平成名勝負」5選までをカラーで紹介。日本相撲史ダイジェスト、横綱列伝、現代幕内断面図など、相撲を楽しむデータを満載。

決定版!大相撲観戦道場―相撲の楽しみ方教えます



[PR] 激安!格闘技用品・ウエイトトレーニング器具の通販専門店 ドリームクラブ!47のカテゴリーと数百のアイテムを卸販売/激安・格安のディスカウントセールを毎日実施中!5つ以上商品を購入すると、送料が安くなることも。

[PR] 無料会員登録後、メール内またはサイト上のスポンサーURLをクリックすることでポイント(2ポイント=1円)が稼げます。また、ビンゴゲーム、資料請求や各種申込、ショッピングなどでもポイントが獲得できます。今なら新規登録時に、100ポイント貰えます。「ちょびリッチ.com」

☆ お小遣い稼ぎサイトを利用したネット内職の詳細解説はこちら ☆

行司になるには

格闘技・武道・武術四方山話

行司になるには


 45人の行司の定員に欠員があり、部屋の師匠と行司会から相撲会に採用願書を提出し 、理事会の承認を受けた、義務教育を修了した満19歳までの男子ならば行司になることが出来ます。幕下格より下の行司は「行司養成員」とされ、立行司を含む師匠の年寄が養成にあたります。3年間見習いとしての養成期間があります。養成期間は、行司部屋で格上の行司から軍配の扱い、発声練習、相撲文字などの基本を学び、所属している部屋や巡業先で実践練習をすることになります。行司の実務については、立行司と行司委員会が指導を行います。また、一門の先輩行司や行司会の「監督」も指導します。幕下格以下の行司には師匠がいていろいろと教授されますが、十両格以上になると、自分で行司としての人格と技量を磨かなくてはならなくなります。十両格になると、協会から給料が出て部屋では付け人がつきます。 行司の成績評価は本場所ごと、巡業ごとに審判部長、副部長、巡業部長、指導普及部長、監事が行い、一定の基準に基づいて考課表を作成し、理事会に提出されます。それに基づいて理事会は行司の階級順位を編成します。行司最高位である立行司は、この成績評価の対象から除外されています。
 立行司が成績評価から除外されるというのは、楽になる感じがしますが、協会関係者、相撲通などの厳しい目に晒されるということなので、ものすごいプレッシャーがありそうですね。所作、言動や日常生活の一つ一つに気を配らなければならないというのは大変だと思います。その他の格闘技・武道・武術のレフェリー、審判でこれだけ厳格に教育されているものがどれだけあるのか、とちょっと考えてしまいました。




[PR]全番組無料放送!パソコンTV『GyaO』の快適度をチェック中!
[PR] K-1、PRIDEの試合結果を予想してお小遣いGET!【予想ネット】



行司家

格闘技・武道・武術四方山話

行司家


 今回は行司を務める行司家についての話題です。
 現在は木村・式守両家が行司家として残っていますが、江戸時代までは、木村家・式守家以外にも岩井家・吉岡司家・吉田司家などが存在していました。木村家の木村庄之助は、大相撲の立行司の名前で、行司の最高位でもあります。木村庄之助は、式守伊之助を経た立行司で、先代の木村庄之助が引退して空位になった場合に襲名することができます。木村庄之助になると、「知進知退随時出処」と書かれた「ゆずり団扇」とも言われる軍配を受け継ぎます。通常、本場所では行司は取組を2番担当しますが、木村庄之助は結びの一番のみ担当します。例えば千秋楽に優勝決定戦が行われる場合、庄之助は一日一番の慣例があるため行司を勤めず、代わって式守伊之助が軍配を取ることになっています。もう一人の立行司である式守伊之助は、木村庄之助に次いで2番目の地位の行司で、三役格から立行司に昇格する行司が代々襲名します。余談になりますが、木村家と式守家は裁く時の所作にも違いがあり、例えば、木村家は軍配を握るとき手の甲を上に向けるのに対し、式守家は手の平を上に向けます。大相撲中継を見る機会がありましたら確認してみてください。
 なお、入門時に木村(式守)家を名乗ったとしても、途中から式守(木村)家を名乗ることも可能で、入門するとまず自分の本名を名乗ることが多いが、経験を積んで、先輩行司の名や由緒ある行司名を名乗って三役格まで進み、立行司の伊之助、庄之助へと昇進していきます。
 行司の世界について調べていると、判定がいいかげんということではありませんが、その他の格闘技・武道・武術のレフェリー、審判が、なんだか軽いものに感じられます。その他の格闘技・武道・武術の世界でも、相撲の行司のようなシステムを取り入れると面白そうだなと感じました。




[PR]全番組無料放送!パソコンTV『GyaO』の快適度をチェック中!
[PR] K-1、PRIDEの試合結果を予想してお小遣いGET!【予想ネット】


行司と階級

格闘技・武道・武術四方山話

行司と階級


 行司には階級があります。立行司 、三役格、幕内格、十両格、幕下格、三段目格、序二段格、序ノ口格が定められています。最高位は立行司で、木村庄之助と式守伊之助の二人からなります。階級が見た目にわかりやすいのは行司装束で、基本は直垂(ひたたれ)と烏帽子(えぼし)を着用し、軍配を持っています。これは、600年程前の武士の服装です。階級によっての違いは、胸の菊とじ(ひも)、軍配に下がっている房は、最高位の立行司である木村庄之助が紫、同じく式守伊之助が紫と白。三役格は朱、幕内格は紅白、十両格は青(緑)と白、それ以下はすべて青(緑)か黒となっています。三役格より上の行司は白足袋に草履が履け、幕内格と十両格は足袋だけ着用します。幕下以下の行司は、素足で袴は膝下まで括り上げています。このことから別名”はだし行司”といわれます。この行司の装束も歴史的に変化しており、明治43年までは裃(かみしも)、袴姿だったそうです。最高格である立行司は、かならず短刀を差しています。これは昔、行司が軍配を差し違えてしまった場合、切腹するという規則があったからです。現在は切腹するようなことはもちろんありませんが、進退伺いを出し、一場所で三回以上差し違いをした場合は、無条件で一枚降格処分というペナルティが課せられます。行司の番付は力士の番付とは独立しているので、幕内格の行司が十両の取組を裁いたり、十両格の行司が幕下の取組を裁くことがあります。しかし、明確に待遇に差がつけられており、例えば本場所で幕下格の行司に替わって、十両格の行司が土俵に上がると、通常土俵の照明が暗くしてある幕下の取組であってもその時だけは照明が明るくなります。
 この明確で厳しい差別化が相撲のいいところだと思います。下位の力士の向上心やモチベーチョンを上げるためのロジックとしては、とてもよく出来た仕掛けだと思います。また、行司が差し違えた場合のペナルティが明確に決まっているところも、他の格闘技・武道・武術の試合で参考になるのではないかと思いました。




[PR]全番組無料放送!パソコンTV『GyaO』の快適度をチェック中!
[PR] K-1、PRIDEの試合結果を予想してお小遣いGET!【予想ネット】


行司

格闘技・武道・武術四方山話

行司


 大相撲初場所期間中なので大相撲の話題です。
 最近PRIDEやK-1など格闘技イベントで、時々物議をかもすことがあるレフェリングやジャッジングですが、大相撲でレフェリーに当たる人物が行司です。 行司とは、相撲において、取組の優劣を見極め、勝者を判定する役目の人物で、勝負が決まった段階で、どちらが勝ったかを軍配を勝者に向けることによって示します。行司は力士同様各相撲部屋に所属しています。大相撲では、観戦の邪魔にならないように移動しながら、取組中に掛け声をかける・はずれたさがりを土俵の外にのける・緩んだ廻しを締め直す・水入りの場合に両者の立ち位置や組み手などを決めるなど、様々な仕事をこなさなければなりません。微妙な行司の判定に対しては、土俵下の勝負審判が異議を申し立て、物言いとなり、ビデオ判定などの協議がなされます。その他の仕事としては、番付を書く・決まり手をアナウンスするなどの仕事があります。
 相撲の歴史上、行司が専門の判定役として登場したのは織田信長の頃といわれています。元亀元年(1570)、常楽寺の相撲で木瀬蔵春庵という人物が「行司」役(当時は、「行事」)として勝負判定したことが「信長公記」に記されています。また、安土城で行われた相撲では、木瀬蔵春庵と木瀬太郎太夫の二人が行司を務めたそうです。この二人が行司家の始祖と言われています。その他の行司の起源としては、節会相撲の「立合(たちあわせ)」であるとする説もあります。節会相撲の「立合」は判定専門ではなかったようですが、相撲を立ち合わせる役割を果たしていたそうです。
 相撲が始まった頃からいると思っていた行司ですが、織田信長の時代に登場したということには驚きました。とはいっても長い歴史を持っているので、行司の仕事を知ると、その他格闘技・武道・武術の試合を見る上で参考になることがあるかもしれませんね。


[PR]全番組無料放送!パソコンTV『GyaO』の快適度をチェック中!
[PR] K-1、PRIDEの試合結果を予想してお小遣いGET!【予想ネット】


外国人力士

格闘技・武道・武術四方山話

外国人力士


 大相撲初場所が行われており、ブルガリア出身の新大関、琴欧州の活躍が期待されていますね。そこで今回は、外国人力士の歴史についての話題です。
 外国人力士の先駆者といえば布団のCMでおなじみの、高見山大五郎です。ハワイから来日し、初土俵は1964年、新入幕は68年、最高位は関脇で、74年に幕内最高優勝しています。しかし、その後、74年に朝日山親方がトンガ国王の要請で四人のトンガ人を入門させて話題になったものの、翌年の親方急逝でごたごたし、四人は廃業、トンガへ帰ってしまったそうです。
 高見山に続いたのは、82年初土俵の、やはりハワイ出身の小錦八十吉で、大関まで上り、三度優勝しましたが、91年九州場所と、一場所置いた92年春場所で優勝しながらも横綱には昇進できず、「自分は外国人だから」と発言して問題になったりしました。しかし、これは誤解であったようで、この事件以前に、優勝経験のない双羽黒を横綱に昇進させ、暴力沙汰で廃業するという事件が起きたため、協会で横綱昇進基準を厳しくした時期にたまたま当たってしまったというのが真相なようです。事実その後、日本人でも、二場所連続優勝しなければ横綱に昇進出来なくなり、曙、武蔵丸、朝青龍と外国人横綱が続きました。
 その間にもいろいろな外国人力士が活躍し、カナダ出身の琴天太(86年、琴天山と改名)は日本の生活になじめず廃業、サモア出身の南海龍も、幕内力士になりながら、酒に溺れ、88年、幕内力士のまま突如廃業しています。外国人力士といえばハワイという印象がありますが、武蔵丸引退によってハワイ人力士はいなくなりました。ほかに、ブラジル出身の伯山、アルゼンチン出身の星安出寿と星誕期などもいましたが、入幕には至りませんでした。米国本土出身の、現在PRIDEで総合格闘家として活躍中の戦闘竜も短期間幕内にありました。韓国出身の春日王も現在幕内力士として活躍しています。しかし、活躍が目立つのはモンゴル出身の力士で、先駆者は旭鷲山と旭天鵬です。99年に朝青龍が初土俵を踏み、2001年に入幕するとたちまち横綱まで駆け上がり、数々の記録を打ち立てる程の大横綱となっています。
 廃業していった外国人力士がこんなにもいるということは、外国人が力士としてやっていくというのは、大変なことなんでしょうね。これからどのような外国人力士が活躍するのか楽しみですが、彼らに負けることなく日本人力士にも活躍してほしいところです。




PR [パソコンからちょっと離れてエクササイズ!ボディメーカー]
PR [自宅で本格的なエクササイズができる各種機器。有酸素運動で体脂肪を燃焼させたいならファイティングロード!!]

FC2アフィリエイト
格安レンタルサーバを紹介してお小遣いGET!
  コムズリンクスタッフ
  ネットでバイトするならココ!1000~30000円の高額報酬!
ads by infodic.

最強力士伝説 雷電爲右エ門 5

格闘技・武道・武術四方山話

最強力士伝説 雷電爲右エ門 5


 圧倒的な強さを誇りながら、なぜ雷電は横綱にはなれなかったのか。これは相撲史上最大のミステリのひとつです。
 一般に広く知られている説としては、当時は横綱が大関の中でも秀でた存在という認識がなかったためというものがあります。しかし、すでに横綱免許を受けた小野川を相手に互角以上に渡り合っていたということから、これは疑問視されています。庶民の間に伝わる講談などでは、遺恨相撲で相手を死亡させてしまったためなどとされていますが、当時の星取表からすると、これはまったくの創作だそうです。酷いものとしては、容姿が醜く、谷風や小野川に比べると人気が劣っていたためではないかという意見まであります。しかし、現在に残る錦絵などを見てみると、それほど醜いということもないことからこれも否定的に見られています。個人的にはこれではないかと思うのが、当時の力士は藩のお抱えであった為、藩の持つ力によって昇進が左右されることもあり、雷電もその例外ではなかったという説です。「雷電日記」の記述の中に、出雲大社での土俵入りというものがあることから、相撲史研究家の小島貞二氏はその著書「力士雷電」の中で、出雲大社から横綱免許を受けその本殿で生涯一度だけの横綱土俵入りを行った姿を描いていますが、これはあくまで推測であり、仮説としてはやや強引に過ぎるとされているようです。
 結局、なぜ雷電が横綱になれなかったのかという謎ははっきりとわかってはいないようです。しかし、もし雷電が横綱であったとしたら、庶民の人気が少し落ちていたかもしれませんね。強すぎる横綱は、嫌われるということは、現在でもありえることです。それよりも、横綱になれない強すぎる大関の方が、庶民からは同情を込めて支持されそうです。もしかすると、雷電の人気を借りて、相撲人気をより高めるために、わざと雷電を横綱にしなかったという、興行側の思惑があったのかもしれませんね。

FC2アフィリエイト
格安レンタルサーバを紹介してお小遣いGET!
  コムズリンクスタッフ
  ネットでバイトするならココ!1000~30000円の高額報酬!
ads by infodic.

最強力士伝説 雷電爲右エ門 4

格闘技・武道・武術四方山話

最強力士伝説 雷電爲右エ門 4


 無類の強さを誇った雷電も無敗だった訳ではなく、幕内通算で10敗しています。雷電に勝ったというだけでも大相撲史に名を残すほど話題になったようです。中でも陣幕、市野上、柏戸の名が高いです。陣幕は、上覧相撲での立ち合い一気ののどわ攻めという正攻法による勝利で雷電を負かした力士として伝わっています。ただ、この取組は雷電にとって初土俵2場所目で、しかも上覧相撲ということで、雷電に緊張があったのではといわれています。柏戸は雷電との取組が12回あり、それぞれ好勝負を繰り広げ、好敵手の筆頭にあげられています。この2人の取組は江戸の庶民にも大変人気があり、何を質に入れても見物に行くとまで言われていたそうです。市野上は雷電に連勝した唯一の力士で、寛政3年から12年までの9年間、雷電は彼にしか負けていないということになります。市野上に2敗しなければ、雷電は106連勝に達していたことになります。いつの時代にもこういう劇的勝利をする競技者がいるものですね。生涯最高の大番狂わせで名を残した力士としては鯱が挙げられます。寛政12年の、この取組は雷電にとっては痛恨の黒星だったようです。立ち合い大きく変わっていなされたか、後ろにまわりこんでの送り出しという、所謂注文相撲での敗北だったそうです。
 雷電に勝ったという、そのこと自体が伝説になるということは、逆に雷電がいかに強かったかという証明になっていますね。陣幕や柏戸は雷電に並ぶほど強い力士という感じがしますが、市野上や鯱は雷電に勝ったとき、「勝っちゃった・・・」と勝った本人が信じられなかったんじゃないかと想像してしまいました。

最強力士伝説 雷電爲右エ門 3

格闘技・武道・武術四方山話

最強力士伝説 雷電爲右エ門 3


 凄まじい強さを誇った雷電も、よる年波には勝てず、文化8年(1811年)2月の全休を最後に現役を退きました。その後は松江藩相撲頭取に任ぜられています。引退後の雷電は、後の7代横綱稲妻雷五郎を見出したりと、相撲界に尽力したそうです。その他、文化11年(1814年)大火で焼失した報土寺の鐘楼と釣鐘の再現にも力を尽くしましたが、幕府上役にはこの鐘の形状などが不満だったらしく、江戸払いに処せられています。文政2年(1819年)には藩財政緊縮、所謂リストラで相撲頭取職を解任されてしまいました。詳細を伝える資料は少ないですが、晩年は妻八重の生地下総国臼井(現千葉県佐倉市)でながく暮らし、ここで亡くなったそうです。墓所は、鐘楼と釣鐘の再現に力を尽くした東京都港区赤坂の報土寺にあります。他に、生地の長野県東御市の養蓮寺、妻・八重の郷土である千葉県佐倉市の浄行寺、島根県松江市の西行寺にも雷電の墓と称するものがあります。当時の力士としては高い教養を持っていたそうで、通称「雷電日記」といわれる「諸国相撲控帳」や「萬相撲控帳」を残しています。これらの資料は相撲に限らず、江戸の風俗を知る上でも貴重な資料となっています。生涯戦績は幕内通算 35場所 254勝 10敗 2分 14預 5無勝負 41休でした。
 晩年は相撲界にとどまらず、様々な事で活躍している割には、江戸払いになったり、リストラにあったりと、決して恵まれていたとはいえない人生だったようです。しかし、力を尽くした報土寺に墓所があるということは、庶民からは支持されていたのではないかなぁと想像できます。というより、そうであってほしいと思いました。

最強力士伝説 雷電爲右エ門 2

格闘技・武道・武術四方山話

最強力士伝説 雷電爲右エ門 2


雷電の初土俵は寛政2年(1790年)11月のことで、いきなり付け出しで関脇としてデビューを果たしました。抱えられていた親藩松平家の影響力も大きかったようです。しかし、同じ雲州抱えの実力者、柏戸勘太夫(小結)の上におかれていたということは、彼に対する期待度が大きかったということでしょうか。そしてこの場所で初土俵にして8勝2預と現在でいう幕内最高優勝を果たしています。異説もあるようですが、現在の優勝に相当する成績を27回残しています。この記録は年2場所制の時代のもので現在の年6場所制だったら、いったいどれほど記録を伸ばしていたかしれません。ちなみに現行の年6場所制となった以降で、この記録を破っているのは、大鵬(32回)と、千代の富士(31回)のわずか二人だけです。あの朝青龍でも現時点で15回です。一場所で2敗することはついになく、同じ相手に2度負けることも花頂山一人を除いてなかったそうです。有名な逸話としては、あまりの強さに「鉄砲(つっぱり)」「張り手」「閂(かんぬき)」を禁じ手とされたというものがありますが、これは後世になって作られたものという説が有力だそうです。現にその相撲を目撃した人たちの証言資料によれば、雷電の取り口は突き押し専門で現役を通して変わらなかったそうです。それ位に強かったということでしょう。
 年2場所制の時代に優勝回数27回というのは凄すぎますね。年6場所制時代の記録である大鵬の32回に後5回だけなので、あっさり記録を塗り替えていそうですね。それも驚きですが、初土俵でいきなり関脇というのは、雷電にとってはどれほどのプレッシャーであったかを考えると怖くなります。優勝したからよかったけれど。

最強力士伝説 雷電爲右エ門 1

格闘技・武道・武術四方山話

最強力士伝説 雷電爲右エ門 1


 相撲通に「最強の力士は誰ですか?」と尋ねると、多くの人が挙げるであろう力士が雷電爲右エ門です。
 雷電爲右エ門(らいでん ためえもん、1767年~1825年4月9日)は、信濃国生まれの江戸時代の大関です。通算で喫した黒星はわずかに10で、9割6分2厘という脅威の勝率で、史上最強力士に推す意見も多い力士でありながら横綱免許は受けませんでした。しかし、富岡八幡宮の横綱力士碑に「無類力士」として顕彰されており、横綱と同列に扱われています。幼名を太郎吉(樽吉)といい、少年期から体が大きく、怪力にまつわるさまざまな伝説が残っています。やがて相撲好きな隣村の庄屋であった上原源五右衛門の目にとまり、彼のもとで相撲を習っていたそうです。天明4年(1784年)9月、地元に巡業に来ていた江戸相撲の浦風林右衛門が彼を目にとめ、ともに江戸へのぼりました。江戸では当時の第一人者谷風梶之助の預り弟子となり、初土俵までの6年を過ごしました。この間、将来有望であるとして、出雲国松江藩松平家のお抱え力士となっています。当時、初土俵前から士分に抱え上げられるというのは異例だったそうです。「雷電」という四股名はもともと巨人力士釈迦ヶ嶽雲右エ門の看板大関の下で実力関脇をつとめ、晩年には松江藩相撲頭取に任ぜられた雷電爲五郎のように雲州ゆかりのものであったようです。
 私は相撲が大好きで、格闘技としてK-1やPRIDEと同じように相撲には盛り上がってほしいと願って、相撲の話題を取り上げてみました。雷電がきっかけとなって、少しでも相撲に興味を持つ人が増えてくれたらいいなぁと思います。

«  | HOME |  »

プロフィール

NECO

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク


★ 格闘技・武道・武術関連書籍・DVD

隠されていた空手

沖縄武道空手の極意

プロレス・格闘技超“異人”伝

ブラジリアン柔術マキシマム

ブラジリアン柔術アドバンス

総合格闘技「技」の読本!

最強格闘技伝猛者たちの系譜

古武道入門

中国武術の本

発勁力

琉球王家秘伝武術

世界のマーシャルアーツ新装版

日本格闘技おもしろ史話

ブラジリアン柔術セルフディフェンステクニック

ブラジリアンバーリトゥード

決定版!大相撲観戦道場―相撲の楽しみ方教えます

一刀流兵法史考

日本柔術当身拳法

寝技で勝つ柔道

地上最強の中国拳法意拳孫立初級編


★ FC2でブログを
はじめてみませんか?

★ せっかく作ったブログを多くの人に見てもらおう!

・人気ブログランキング
・ホームページランキング
・JRANK
・くつろぐ
☆【ブログ探検隊】
・FC2 Blog Ranking
・ブログ王ランキング

★ さらにアクセスアップしたい方はこちらがおすすめ!

ホームページ売上アップ診断+オリジナルSEO対策ツールで売上アップ!
ホームページ売上アップ診断+オリジナルSEO対策ツールで売上アップ!

サーチエンジン一括簡単登録システム
”かっぱ DE.COM”

フリー登録.com

携帯でネット内職

携帯から始めるネット内職