糸洲安恒
糸洲安恒
首里手の遠祖である松村宗棍を開祖とし、糸洲流空手の流祖であるのが、後に"拳聖"と称される糸洲安恒です。幕末の沖縄に生まれた糸洲安恒は、体格に恵まれず病弱であったそうです。はじめは那覇手を長浜築登之親雲上という人物に学び、上達してからは松村宗棍に師事しました。体格のハンデを厳しい鍛錬で乗り越え、いつしか喜友名親雲上とともに"当破(アテイフク)"つまり拳の破壊力においては宗棍門下の双璧と称されるまでになったそうです。とにかく一撃の破壊力は凄まじく、巻きわらを立てても一ヶ月ともたず、仕方なく自然の大木の幹に皮を巻いて代用しても、すぐに枯れてしまい、石垣の表面に皮を当てて突いても、後方の石が飛び出して、頑丈な石垣が崩れてしまったといいます。また、琉球恒例の闘牛大会で、突進してくる猛牛を身をかわさずに正面から鼻面に右正拳を一発打ち込み、猛牛が動きを止めた瞬間に、両手で両角を握って牛をねじ倒したという武勇伝が残っています。これほどの一撃の破壊力を持っていた安恒でしたが、喧嘩や口論をすることはなかったようです。このような武勇伝もさることながら、糸洲安恒の空手における大きな業績は、当時、唐手術と言う護身術であった「手」を体育的に改良再編し、学校教育に取入れ人格形成に主眼を置いて昇華させたことだと思います。また、多くの型も創作し、現在も最も普及している「ピンアン」の型は糸洲安恒が作ったものだそうです。
凄まじい腕を持ちながら、喧嘩や口論をすることは無かった糸洲安恒の肖像画を見たことがありますが、温厚で真面目そうな顔立ちでした。暴力で強さを競うことの虚しさを知りすぎていたのかもしれませんね。
| ホームページ登録.com HP登録代行・アクセスアップならここで決まり | かっぱDE.COM 検索エンジン一括登録!リンクスタッフに登録するだけで1000円GET! |
ads by infodic. | |






