諸賞流和術
諸賞流和術
1300年も遡り、日本史の教科書に登場してくる藤原鎌足を流祖とする武術が諸賞流和術です。
諸賞流和術の「和」ですが、「和」と書いて「やわら」と読ませます。皇極四年(645)、舒明天皇と、皇極天皇の子の中大兄皇子と共に、それまで朝廷の実権を握っていた蘇我氏を滅ぼした事件、大化の改新に功のあった中臣鎌足、後の藤原鎌足が流祖とされています。この流派は、激烈な当身技が特徴であったようです。当時は、鎌足が目的達成を祈願した際に、天から遣わされた狐が現れて、ひと振りの鎌を授けた、という伝説から「狐伝流」と称していました。藤原鎌足が死んで150年経過した頃、狐伝流が絶えようとしていましたが、坂上田村麿が復興させ「観世流」と称しました。その後、観世流27代目・毛利宇平太が流名を「諸賞流」へと改めました。このため諸賞流では修行段階によって各流名が使い分けられていて、印可有伝の位になると「観世的真諸賞要眼狐伝流」という長い流名が免状に記されます。それだけ開創以来の歴史と経過の中で、複数の流儀と重層的に重なり合い、完成されてきた武術だということでしょう。諸賞流は47代宗家・岡武兵衛庸重から、盛岡藩の流儀として伝わるようになりました。さらに54代当主の時に門外不出の御留流となりました。以来、藩内で秘密裡に稽古されるようになったそうです。
1300年も前に発生した武術の割には、想像していたより詳しい来歴が残っている事に驚きました。やはり、御留流となったことが影響しているのでしょうか。いずれにしても、資料を残してくれた人物に感謝です。






