最強力士伝説 雷電爲右エ門 2
最強力士伝説 雷電爲右エ門 2
雷電の初土俵は寛政2年(1790年)11月のことで、いきなり付け出しで関脇としてデビューを果たしました。抱えられていた親藩松平家の影響力も大きかったようです。しかし、同じ雲州抱えの実力者、柏戸勘太夫(小結)の上におかれていたということは、彼に対する期待度が大きかったということでしょうか。そしてこの場所で初土俵にして8勝2預と現在でいう幕内最高優勝を果たしています。異説もあるようですが、現在の優勝に相当する成績を27回残しています。この記録は年2場所制の時代のもので現在の年6場所制だったら、いったいどれほど記録を伸ばしていたかしれません。ちなみに現行の年6場所制となった以降で、この記録を破っているのは、大鵬(32回)と、千代の富士(31回)のわずか二人だけです。あの朝青龍でも現時点で15回です。一場所で2敗することはついになく、同じ相手に2度負けることも花頂山一人を除いてなかったそうです。有名な逸話としては、あまりの強さに「鉄砲(つっぱり)」「張り手」「閂(かんぬき)」を禁じ手とされたというものがありますが、これは後世になって作られたものという説が有力だそうです。現にその相撲を目撃した人たちの証言資料によれば、雷電の取り口は突き押し専門で現役を通して変わらなかったそうです。それ位に強かったということでしょう。
年2場所制の時代に優勝回数27回というのは凄すぎますね。年6場所制時代の記録である大鵬の32回に後5回だけなので、あっさり記録を塗り替えていそうですね。それも驚きですが、初土俵でいきなり関脇というのは、雷電にとってはどれほどのプレッシャーであったかを考えると怖くなります。優勝したからよかったけれど。






