最強力士伝説 雷電爲右エ門 3
最強力士伝説 雷電爲右エ門 3
凄まじい強さを誇った雷電も、よる年波には勝てず、文化8年(1811年)2月の全休を最後に現役を退きました。その後は松江藩相撲頭取に任ぜられています。引退後の雷電は、後の7代横綱稲妻雷五郎を見出したりと、相撲界に尽力したそうです。その他、文化11年(1814年)大火で焼失した報土寺の鐘楼と釣鐘の再現にも力を尽くしましたが、幕府上役にはこの鐘の形状などが不満だったらしく、江戸払いに処せられています。文政2年(1819年)には藩財政緊縮、所謂リストラで相撲頭取職を解任されてしまいました。詳細を伝える資料は少ないですが、晩年は妻八重の生地下総国臼井(現千葉県佐倉市)でながく暮らし、ここで亡くなったそうです。墓所は、鐘楼と釣鐘の再現に力を尽くした東京都港区赤坂の報土寺にあります。他に、生地の長野県東御市の養蓮寺、妻・八重の郷土である千葉県佐倉市の浄行寺、島根県松江市の西行寺にも雷電の墓と称するものがあります。当時の力士としては高い教養を持っていたそうで、通称「雷電日記」といわれる「諸国相撲控帳」や「萬相撲控帳」を残しています。これらの資料は相撲に限らず、江戸の風俗を知る上でも貴重な資料となっています。生涯戦績は幕内通算 35場所 254勝 10敗 2分 14預 5無勝負 41休でした。
晩年は相撲界にとどまらず、様々な事で活躍している割には、江戸払いになったり、リストラにあったりと、決して恵まれていたとはいえない人生だったようです。しかし、力を尽くした報土寺に墓所があるということは、庶民からは支持されていたのではないかなぁと想像できます。というより、そうであってほしいと思いました。






