空手の父、船越義珍 1
空手の父、船越義珍 1
松濤館流空手の創始者にして、日本空手協会を創設した”空手の父”といわれている船越義珍のお話です。
明治元年、沖縄県那覇市(首里)の士族(容氏)の家に生まれ、旧姓は富名腰といい、のち船越と改姓しました。幼い頃の義珍は、7ヶ月の早産だったということもあり、身体が小さく、とてもひ弱であったそうです。そんな一人息子の健康を案じた父親は、義珍が11歳のとき、唐手を習わせることにしました。琉球王国が滅び、沖縄県となったころのことです。義珍を指導したのは、首里手の達人として知られた安里安恒と糸洲安恒でした。体力づくりではじめた唐手でしたが、一つの技に2、3年もかけるといわれるほど厳しい修行に耐え,着実に腕を上げていきました。唐手の修行だけでなく、勉学の方にも力を注ぎ、小学校を卒業すると独力で学問を続け、19歳のときに学校の教師の資格をとっています。小学校の教師をながく勤めたあと、県立中学や師範学校で唐手の指導にあたっています。1905年には,仲間とともに県内ではじめて唐手の公開演武をおこない、当時空手は秘術とされていたので、大変な注目を浴びたそうです。
私が中学生時代、初めて入門した流派が松濤館流空手でした。当時は、これが空手だと思っていましたが、年齢を重ねて、知識が増えるにしたがって、本来の空手の戦闘法とは違うのではないかと思うようになりました。おそらく、船越義珍が使ったであろう唐手の技術は、彼が唐手を広めるために作り上げた”空手”とは違ったものであったのではないでしょうか?もしかすると、彼自身が、これでいいのだろうか?と疑問を持ちながら、それでも空手を広めたいと思っていたかもしれませんね。いずれにしても”空手の父”であることにはかわりがないと思います。
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