空手の父、船越義珍 2
空手の父、船越義珍 2
”空手の父”といわれる船越義珍が沖縄から本土に渡ってからのお話です。
沖縄で沖縄尚武会の代表をつとめ、唐手の普及に尽力していた義珍は、海軍の八代艦隊が沖縄に寄港した際、選抜された水兵に一週間指導をしましたが、その威力が危険視され海軍は採用を見送ったそうです。1921年3月、昭和天皇がまだ皇太子であった頃、渡欧の途中沖縄に立寄り、その時に義珍は演武の指揮者として、師範や中学の生徒を選抜し、首里城正殿の大広間で唐手演武の指揮を執り台覧に供しました。昭和天皇は「唐手の霊妙なること」と言う感想を述べたそうです。1922年5月、東京において文部省主催の第一回古武道体育展覧会に沖縄県学務課の要請で出席し唐手を紹介しています。これが日本本土での初公開でした。義珍は形の演武、及び、その他を図解したものを作成出展し説明しました。その後、各所で唐手の講演や実演を行いました。結局、沖縄に帰郷することなく東京に在住し、大学・警視庁にも指導に赴き「唐手研究会」と言う名称のもとに、その普及を図ったそうです。
海軍が危険視し、採用を見送るほどの技術とは一体どのようなものであったのでしょう。この時披露された技術の中には、現在は失伝してしまったものもあったかもしれません。それを思うと、少し寂しい思いがします。

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