空手の父、船越義珍 3
空手の父、船越義珍 3
東京にとどまり,空手の普及につとめていた船越義珍は、1924年に鎌倉円覚寺慧訓管長の指導もあって、従来沖縄で「手(てぃ)」又は「唐手(とうでぃ)」と呼ばれていた「唐手」の文字を「空手」に改め、更に「空手術」を「空手道」に変更しました。「空」の文字には「徒手空拳にして身を守り敵を防ぐ」武道の心を象徴すると共に、般若心経の思想を含めたようです。空手に、それまでなかった段位制度をとりいれたのもこの年です。
1936年に空手道を研究する人達の関係を深めることを目的に設立した「大日本空手道研究会」を「大日本空手道松濤會」に改称しました。1939年念願の空手道専門道場「大日本空手道松濤館」を主要門人達の協力を得て、目白・雑司ヶ谷に創建しました。「松濤館」は大日本空手道松濤會本部道場として、技術面の中心的役割を果たし、現在行われている、基本・型・組手の稽古体系を確立しました。また、大極の型、組手「天之型」、棍の型「松風」を考案しました。こうして数多くの空手家を育てた義珍は、「空手に先手なし。空手の目的は相手を倒すことではない。厳しい鍛錬に耐え,自分の内に潜む敵に勝つことである」として、空手を学ぶ者の心得、空手道修行者の人生訓として「空手道二十訓」を示し、暴力に走る事を強く戒めたそうです。
船越義珍を描いた小説でお気に入りのものは、今野敏 著の義珍の拳
義珍の空手の形の演武は、現在のように腰を落とさず、狭い歩幅で歩くようなものであったと、何かの本で読みましたが、「空手を広めるために万人にわかりやすい形に変えはしたが、これが唐手本来の姿なんだ!」という義珍の心の声が聞こえてきそうなエピソードだと思いました。

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