陰流
陰流
日本剣術史・兵法三大源流の一つと言われる武術が陰流(陰の流・愛州陰流・陰流)です。創始者は愛州移香斎久忠です。移香斎は伊勢(三重県)の人であるとか、日向(宮崎県)の人であるとかいう説があります。南北朝時代に護良親王の令旨を受けて宗良親王を奉じ、伊勢の守護職として北畠氏と共に南朝の為に働いた愛洲太郎判官の子孫が久忠にあたるそうです。兵法家として大成する前身については、伊勢を本拠とする熊野海賊だとか、あるいは修験者だとか、様々な仮説が出ていますが、愛洲家の生業が水軍による海外貿易と倭寇であったため、若い頃から、九州や関東、果ては明国(中国)まで渡航していたそうです。移香斎も貿易などをしていたのではないかとされています。いずれにしても、多くの古流武術の創始者に見られるように、多くが謎に包まれた人物です。移香斎が誰から剣術を学んだかは不明ですが、その内容を示す伝書の類も見つかってはいないようです。熊野水軍は、東シナ海沿海州を荒らし回った、俗にいう八幡海賊の流れを汲んでいます。その剣法は三尺もの刀を船上で用いる荒技で、当時明国では八幡海賊との戦いに相当苦戦したそうです。中国での標準的な戦闘スタイルが片手に刀、片手に盾をもって行うものだったので、両手で構えて斬りかかってくる倭寇の戦法に明国水兵は怖れたのだそうです。そのためか、中国の『武備志』に倭寇から手に入れた、陰流剣術の巻物にある形を、倭刀を持って演武する中国人の絵が書かれていることが知られています。
海賊が使用していた、実戦武術が元になっているかもしれないというのはすごいですね。実際に使用することを前提として体系化された格闘技・武道・武術というのは、陰流のみならず、凄みを感じます。海賊が刀を振りかざして襲ってくるところを想像すると、かなり怖いですね。

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