陰流 2
陰流 2
愛洲移香斎久忠は、若い頃から積極的に刀術の稽古に励んだそうで、九州・関東のみならず、遠く明の国などに幾度も武者修行で訪れ、腕を磨いたといわれています。その武者修行で一族に伝わっていた無骨な海賊剣術を、武術として洗練されたものへと磨いていったそうです。ちなみに、戦国時代以前の剣術では3尺にもなる太刀を用いるものが珍しくなく、戦場でも有利とされていたそうです。
久忠36歳の時、日向国へ向かい、宮崎県日南市の鵜戸神宮の窟に参籠しました。21日目の夜、目の前に蜘蛛が現れ、久忠は追い払おうとします。しかし、蜘蛛はひらひらと身を躱します。久忠はその動きを見てひらめきます。その瞬間、蜘蛛は翁に姿を変え、久忠に奥義を授けます。更に、「ここから南方に住む「住吉」という者と闘い、その秘術を授けよ」と託宣して姿を消したそうです。こうして誕生したのが「陰ノ流」であるといわれています。また、ある説には、鵜戸明神が猿の姿で現れ剣の奥義を授けたともいわれています。その後久忠は翁に言われたとおり住吉と試合い、これを打ち負かします。住吉はこれを機に久忠の門下となったそうです。以後、彼は武者修行で諸国を巡りましたが、晩年になると鵜戸明神に戻って神職となったと伝えられています。享年87歳でした。
まさに、剣に生きたという感じですね。現代の格闘技・武道・武術修行者には中々難しい生き方ですね。日々剣術修行に明け暮れる人たちがどうやって生計を立てていたのか非常に気になります。剣術修行するためには食事をしなければいけないわけで、一体、愛洲移香斎久忠がどうやって食事代や生活費を稼いでいたのか気になりませんか?

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