当身技 4
当身技 4
日本の武術において、当身技が登場したのがいつ頃なのかはよくわかっていませんが、相撲に伝説として残されている、野見宿彌と當麻蹴速の闘いには蹴りが多用され、野見宿彌が當麻蹴速を踏み殺したといわれています。相撲の行司家である吉田司家の古伝には、初期の相撲の技術には「突き・打ち・蹴り」の三手のみであったということが書かれているそうです。
日本では武器の製造と、その武器を使用するための技術が高度に発展し、打撃技術が中心の流儀が発展しづらい土壌であったようです。また日本人の国民性からか、投げ技・関節技といった技術の精妙性を重視したということもいわれています。さらに打撃技が相手に与えるダメージが一定ではないためだという事もいわれています。打撃技が人体に与える影響には違いがあるという研究結果もあるそうです。実際の闘いの中では自分も相手も動き回りながら攻防が行われるため、ここぞという所で倒すことができなかったり、逆に相手を制圧するだけのつもりの打撃技で、相手を死に至らしめてしまう場合もあります。日本の武術は組み伏せて首を刈る、あるいは生け捕りにするという戦闘法を重視したため、相手に与えるダメージにむらのある当身技を重視しなかったということでしょう。現代の打撃系格闘技のように、打撃技をもって相手を倒すという考え方とは趣を異にしています。どちらかというと、組み技、関節技を得意とした総合格闘家の闘い方に近いものであったようです。

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