中条流 3
中条流 3
中条流で特に名高いのは、富田九郎左衛門の子、五郎左衛門入道勢源です。五郎左衛門は眼病のため家督を弟の治部左衛門景政に譲り、自らは出家して勢源と号しました。目を病んでいながらも、小太刀の名人で、彼の中条流は”富田流”とも呼ばれていました。現代も残っている戸田派武甲流薙刀術は富田勢源(戸田清眼)を祖としています。
富田勢源の弟である治部左衛門景政もまた優れた武術家で、前田利家に仕え関白秀次にも武術を教えていたそうです。治部左衛門の弟子には鐘捲流の始祖、鐘捲自斎通家がいます。自斎の弟子として有名なのは、一刀流の創始者である伊藤一刀斎景久です。この系統が現代の鐘捲流、小野派一刀流、溝口派一刀流、北辰一刀流などに繋がっています。
治部左衛門の娘婿の山崎六左衛門は富田家を継ぎ富田越後守重政と名乗り、「名人越後」と呼ばれるほどの武術家で、富田流の名を更に高めました。現代に伝わる気楽流柔術は富田(戸田)越後守が創始したと伝えられています。

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