中条流 4
中条流 4
中条流の使い手であった富田勢源は、眼病を患いながらも小太刀の名人で、彼の中条流は特別に「富田流」と呼ばれました。勢源についての逸話も数々残っています。
勢源が美濃に逗留していた時、武術に造詣の深かった当時の美濃領主、斎藤義龍が抱えていた梅津某という兵法者が、勢源に試合を望みました。しかし勢源は、どうしてもと言うのであれば、越後に甥の重政がいるので、そちらを訪ねろと断ったそうです。これを聞いた梅津は、勢源が自分と闘う事を恐れていると侮り、更に、自分は、闘いであれば、自分の領主であっても容赦しないと言い放ちます。このことが主人である義龍の耳に入り、そこまで言うのであればと勢源に使いを出し、梅津との立ち会いを命じました。領主義龍の命令を断れなかった勢源は、梅津と立ち会うことになりました。
立ち会いの当日、勢源は真剣ではなく薪を持って立ち会いに臨みました。これに梅津は憤慨し、是非真剣でと申し出ます。しかし勢源は梅津が真剣を使うことを了承し、自分は薪で相手をすると言います。仕方なく梅津は真剣での立ち会いを諦め、木刀を構えます。大柄な梅津に対し、小柄で、しかも目の不自由な老人である勢源に勝ち目は無いと思われました。ところが、試合は、勢源の薪による梅津の額への一撃で決まってしまいます。更に脇差を抜いて反撃しようとする梅津に対し、勢源は留めの一撃を加えます。梅津は絶命します。あまりの精妙な術技に感服した義龍は、しばらく美濃に滞在するよういいますが、勢源は辞去してしまいます。何とも日本人の心を熱くするようなファンタジックなお話です。

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